大判例

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京都地方裁判所 昭和26年(レ)12号 判決

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

被控訴代理人は、その請求の原因として、

「亡土永丹治は亡土永重之助の長男であり、被控訴人は右重之助の二男であり昭和十八年二月二日重之助が死亡し長男である丹治がその家督を相続したものであるが、これより先丹治はかねて官界に職を奉じ旧満州国において警察関係の要職に就いて居り家業である農業に従事する意思がなく重之助や被控訴人等に自己は将来帰郷して百姓をすることもないから被控訴人に家業を継いでもらい親達の扶養も頼む代り重之助所有の田畑家屋敷等一切を被控訴人に譲りたい旨言明していたので、被控訴人は重之助生前に同人から同人所有の田畑家屋敷家財道具等動産不動産全部の譲渡をうけてその所有権を取得した、ところが同二十年八月終戦となり丹治はソ連領に連行されて行方不明となり同人の妻である土永ふじゑが子女を連れて引揚げて来たので被控訴人は被控訴人が居住していた福知山市字堀二三五七番地所在木造藁葺平家建住宅建坪三十二坪九合(以下本件母屋と称する)に附属する同所所在木造瓦葺二階建納屋建坪八坪(以下本件納屋と称する)を同人に提供してその住居として使用させたが、同人は被控訴人が重之助から譲渡をうけた不動産で登記簿上重之助名義のままで残つているのがあつたのを奇貨としてそれは家督相続人である丹治の所有であると主張するようになつた。而してふじゑは同二十四年十二月二十一日京都家庭裁判所福知山支部に丹治を不在者として財産管理人選任の申立をなし同日同人は不在者丹治の財産管理人に選任せられて、財産管理人として被控訴人に対し被控訴人が重之助から譲渡をうけて所有居住していた前記母屋も丹治の所有であるとしてその明渡を要求して来たので、被控訴人は円満な解決を望み同月二十七日丹治の財産管理人土永ふじゑを相手方として前記支部に右母屋等の所有権の確認を求める趣旨の調停の申立をした。その結果翌二十五年六月八日元重之助の所有であつた動産不動産全部を被控訴人と丹治とに分割する旨の調停が成立し、本件母屋並びに納屋については、被控訴人居住の本件母屋は丹治の所有とし、ふじゑ居住の本件納屋は被控訴人の所有とし被控訴人において遅くとも同二十七年五月十日迄に母屋を丹治に明渡すのと引換えに丹治は納屋を被控訴人に明渡すこととなつたのである。而して被控訴人は他に家屋を新築し同二十六年二月末本件母屋を明渡すのと引換えにふじゑに本件納屋の明渡を求めたところ同人は意外にもそれを拒絶した。そこで後に述べるような経過によつて丹治の現在の承継人であるふじゑに対し、本件納屋が被控訴人の所有であることの確認とその明渡とを求めるため本訴に及ぶ。仮に本件納屋につき右のような調停がないとしても該調停成立に際し本件納屋を被控訴人の所有とし被控訴人が丹治に対し遅くとも同二十七年五月十日迄に本件母屋を明渡すのと引換えに丹治は本件納屋を被控訴人に明渡す旨の調停外の契約が成立したから右契約に基き前記請求をなすものである。

なお同二十五年六月に至つてソ連領に連行され生死不明であつた丹治は既に同二十年十二月二十八日死亡したことが分明となり同二十五年七月十一日ふじゑは丹治の財産管理人を辞任し又丹治の死亡に伴い同人の子土永重春がその家督相続をなしたが重春は同二十四年七月十日死亡し重春に直系卑属配偶者がなかつたので同人の母であるふじゑが一人で相続したものであるから、同二十六年三月二十四日被控訴人が本訴を提起するに当つては二次の相続によつて丹治の権利義務を承継したふじゑを被告として訴を提起すべきところ、被控訴人は右の事実を知らず誤つてふじゑが依然として不在者丹治の財産管理人の地位にあるものと信じて不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑを被告と表示して訴を提起したものであるが、これが違法としてもふじゑは事実上訴状の送達をうけて応訴し一審判決に対し控訴を申立てているのであるから被控訴人とふじゑとの間には実質上訴訟関連が成立して居り右の訴訟手続上の違背は治癒されている。」と陳述した。

控訴代理人は、答弁として、

「被控訴人主張事実のうち、重之助、丹治、ふじゑ、重春及び被控訴人の身分関係相続関係がいずれも被控訴人主張の通りであること、丹治夫婦は旧満州国に居住していたが丹治は昭和二十年八月終戦後ソ連領に連行され行方不明となり同二十五年六月に至つて既に同二十年十二月二十八日ソ連領内で死亡したことが判明したこと、被控訴人主張の日時その主張のようにふじゑが不在者丹治の財産管理人に選任せられ又辞任したこと、本件母屋並びに納屋が元亡重之助の所有であつたこと、ふじゑが子女を連れて引揚げて来て本件納屋に居住したこと、被控訴人は本件母屋に居住していたこと及び被控訴人が同二十四年十二月二十七日その主張のような調停を申立て翌二十五年六月八日本件母屋を被控訴人が不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑに明渡す旨の調停が成立したことはこれを認めるけれどもその余の主張事実は争う。

被控訴人の第一次的請求について次の通り主張する。即ち被控訴人は被控訴人と不在者土永丹治財産管理人ふじゑとの間に成立した調停に基いて請求をするが、仮に被控訴人主張通りの調停が成立したものとすれば重ねて裁判を求める必要はなく訴の利益を欠くものである。仮に右の主張が理由がないとしても、亡重之助は生前本件母屋並びに納屋等その財産を被控訴人に譲渡したことなく右物件は家督相続によつて丹治が相続したものであるが、被控訴人は右物件が自己の所有であるとして財産管理人であつたふじゑを相手方として調停の申立をなしたものであるが該調停は不在者丹治の財産管理人であつたふじゑが丹治が既に死亡し調停の目的となつている物件の所有権を喪失しているのにかかわらず丹治の所有であるものと誤信してこれを分割処分することを応諾したので成立したものであつてその意思表示は法律行為の要素に錯誤があるから無効であり右調停の有効なことを前提とする請求は失当である。」と陳述した。

三、理  由

本訴は被控訴人(原告)が訴状に不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑを被告と表示して昭和二十六年三月二十四日福知山簡易裁判所に提起せられ、同裁判所は被告をそのまま不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑとして審理し原判決を言渡したものである。然るところ被控訴人は当審に至つて、被控訴人は本訴提起当時丹治が既に死亡し二次の相続によつてふじゑが丹治の権利義務を承継していることを知らず依然ふじゑが丹治の財産管理人の地位にあるものと誤信して訴状に不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑを被告と表示したものであると主張し、本件記録編綴の戸籍謄本除籍抄本及び当事者間争いのない事実に徴すれば、同二十四年十二月二十一日ふじゑは夫丹治の生死が分明でなかつたので京都家庭裁判所福知山支部に丹治を不在者として財産管理人選任の申立をなし同日同人が財産管理人に選任されたこと、而して同二十五年六月に至り丹治が同二十年十二月二十八日死亡していたことが分明となつたので同二十五年七月十一日ふじゑは財産管理人を辞任したこと及び丹治の死亡に伴いその子重春が家督相続をなしたが重春も同二十四年七月十日死亡し同人の母であるふじゑが一人で相続をしたことを認めることができる。而して訴状に被告として不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑとあるは被告として土永丹治を表示したものと解せられるから、本訴における実質上の被告は右二次の相続により丹治の権利義務を承継した土永ふじゑであつて被控訴人はその表示を誤つたことになる。そうであるから原裁判所は民事訴訟法第二百二十四条、第二百二十八条に則り訴状における被告の表示を土永ふじゑと訂正させた上訴訟手続を進行させなければならないものである。然るに被控訴人の誤つた表示に起因するものではあるが、原裁判所がこのような手続をとらないで被告を不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑとして審理判決をなしたのは訴訟手続に違背がある。

被控訴人はふじゑが依然として財産管理人の地位にあるものと誤信して不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑを被告として訴を提起したのは違法であるとしても事実上ふじゑは訴状の送達をうけ応訴しているから被控訴人とふじゑとの間には実質上訴訟関係が成立し右の訴訟手続の違背は治癒されていると主張するが、被告の表示が不在者土永丹治財産管理人土永ふじゑとあつて被告土永ふじゑと補正されていない以上ふじゑは原審において不在者土永丹治財産管理人として訴状の送達をうけ応訴しているのであつて土永ふじゑ自身としてこれをなしているのでないから右の主張は採用できない。

そこで民事訴訟法第三百八十六条、第三百八十九条に則り主文の通り判決する。

(裁判官 山口友吉 永井米蔵 吉井参也)

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